仮名 お知らせ

拝啓 寒中謹んでお見舞い申し上げます。 

さて 今般お知らせが大変遅れましたことお詫び申し上げます。 

田中 二郎は 去る令和元年十一月二十四日 逝去いたしました。 

享年七十二歳でございました。 

本人遺志と家族の希望により内内にて送別を執り行いました。 

年明けて一月十一日に四十九日をすまました。 

皆様には 幼少の時期に二郎・一郎ともども大変お世話になりながら 

お知らせもせず誠に申し訳ないことと存じ上げます。 

またお供えの儀については家族が固辞いたしており ご心配ご無用にて 

お願い申し上げます。 

以下に二郎の亡くなるまでの経過を申し上げます。 

 

二郎 勤務先(旧梅山鉄工)バイテック(株)のエンジニアとして活躍し 

定年後、延長雇用期間中 

五年前 悪性リンパ腫発症、KS西山病院入院治療。 のち通院治療。 

その後、再発するも抗がん剤薬効あり寛解す。 

 継続経過観察のため 近隣の名古屋徳洲会病院通院に転じた。 

昨年二月 市営分譲住宅にエレベータがないため 北区三間町に新築マンションを購入し転居準備中 急性心不全で体調不良となり同病院に入院治療。 

原因は抗がん剤副作用による心肺機能低下と診断され 治療後 良好に経過。  

昨年八月 体調再度変調 慢性心不全と診断され 治療により小康の経過、入院後六十日経過し転院を余儀なくされ困惑。 

リハビリ病院転院計画するも十月 副作用原因性肺炎、肺気腫発症、酸素吸入必要となる。十一月、薬剤服用中 誤嚥し 誤嚥性肺炎を併発悪化し、回復せず同院にて息を引き取った。 

なお妻満恵さんは五年に及ぶ看病介護に献身され健気この上なく言葉でねぎらいきれるものではない。精神的肉体的ご苦労は想像するに難くない。 

また誤嚥直後、重篤となった折 家族肉親(一郎含め)を呼集し最期の別れを意識明瞭のうちにできたことは不幸中の幸いでした。 

遺族は妻満恵さん他一男二女あり、内一男一女は結婚されそれぞれ一女をもうけられている。 

以上 ご報告まで 

末筆ながら 皆様のご健勝を祈念いたします。  

敬具 

令和二年一月 

 

従兄弟姉妹みなさま 

田中 一郎